『インテリア』アフタートーク

2020年2月9日 14:00  @SCOOL

ゲスト:向坂達矢さん(元 京都ロマンポップ代表)

 

福井: 今日はゲストに向坂達矢さんに来ていただきました。2018年の5月に上演した(初演の)『インテリア』にご出演いただいた方で、今は千葉県で庭師のお仕事をされています。一昨年の上演から変わったところもあると思いますが、特に今お仕事されてるところで何か感じたことなどあればお聞きしたいなと思っています。まず純粋に感想などお伺いしていいですか?

向坂: まずメガネちっちゃい俳優が好きなのかなって(笑) 僕も初演の時はちっちゃいメガネかけてて。今お寺で働いているんですけど、お正月にお焚き上げをしていて熊手みたいなやつをボンボン燃やしてたら、火に近づき過ぎてそのメガネが溶けちゃって、それで今コンタクトレンズなんですけど。それはそうとして、あれ初演より喋ってますよね。

福井: 喋ってますね。今も別にセリフがあるわけではなくて、金子さんが好きに喋ってるだけですけど。

向坂: 前はムスッとしてた感じよね。だから今回めちゃめちゃ喋ってるなーっていうか、喋るの面白いなーって思って。無理矢理じゃないんですけど、今造園をやっていて、まだ半年学校に行って就職して一ヶ月とかなんですけど、庭とは何か、庭に見えるとは何かみたいなことを考えましたね。先輩というか師匠の植木屋さんの人が言うんだけど、石があって、木が生えてれば庭に見えるっていう。だから見えるかどうかで言えば、石をベンッて適当に投げて、木をベンってやっとけば庭になるっていうね。今回『インテリア』ですけど、なんか部屋をテーマにやるみたいなことですよね。

福井: はい。部屋と演劇っていう。

向坂: 前回よりも「部屋」に寄ったなって思って。前回はもうちょっと「インテリア」と「部屋」だったけど、今回はまず「部屋」があって、その中にある「インテリア」って感じがした。最後にものが集められて一回空間がサラになるじゃないですか。そしたらここがSCOOLの空間ってことになるんだけど、金子さんが押し入れからハンガーを持っていって服を置くわけですよ。すると『インテリア -エピソード0-』みたいな、ここからまた部屋が始まるみたいなことになる。部屋とは何か、部屋に見えるとは何かっていうときに、まずは「もの」なんじゃないか、「もの」から始めてみようっていう試みなんかなって思った。あとこれも多分福井くんの癖みたいなものだと思うんですけど、「もの」の初期の配置がおしゃれ/ダサイのギリギリのラインで配置されてるよね。おしゃれって際どいんですよ。すぐダサイにすり替わるから。例えば、ああいう延長コードとかがあるじゃないですか。あれとかはダサイんですよ。なんだろう、90年代のトレンディドラマの主人公が暮らしてるような生活感のないおしゃれな空間にあんなものはないんです。

福井: 洗練されてないものってことですかね。

向坂: そうそう。そういうダサイのがちょっとずつ配置されてるんですよ。"SCOOL"って書いてある要らないインテリアなんかは、ダサいけどギリギリ生活感のないおしゃれにも見える。そういうギリギリのラインから始めて、靴下を置いていったりティッシュを置いていったりして、ちょっとずつダサくしていく。でも、結果そのダサイっていうのも見ようによっちゃおしゃれに見えるのかもね?みたいなことになっていて。で、最終的に収集つかなくなって片付けちゃうと。するとSCOOLの空間だけになる。僕ここ今日初めてきたんですけど、ここもなんか絶妙?じゃないですか。白い壁でなんかおしゃれっちゃおしゃれやけど。あの天井に貼られてるのは何? 断熱材?

福井: 吸音材ですね。なんでああいう貼り方してるんですか?って聞いたら、全面貼るとコストかさむからってことらしいです。

向坂: ああ。でもやっぱり貼り方に何かしらのこだわりが見えるっていうか、これはおしゃれにしようとしてるのかはわからないですけど。あと壁もめっちゃきれいな白ってわけではないし、ここも絶妙な空間なんですよ。だから作品の中のそういうおしゃれ/ダサイみたいなのはこの場所ともリンクしてるなって。

 

向坂: あと部屋とは何か、部屋は何でできてるのかってことを考えるのはすごい面白いと思うし、それは演劇が何でできてるのかってことを考えるのと似てるのかもしれない。僕の友人で羽鳥君(羽鳥嘉郎)って人がいるんですけど、彼と話していて、絵画とか彫刻とか他の芸術と比べて演劇は何でできているのか、演劇の素材について語られることがないと、そこから始めないと演劇のことをちゃんと考えることはできないんじゃないかっていう話をしていて。劇作家の岸井さん(岸井大輔)とかあの辺の人らがそういう話をしてたんですけど、羽鳥君は演劇は「集合」だって言ってて、岸井さんは確か「集団」だって言ってて、なんか頭良い人は難しいこと言うなって思ってたんですけど(笑) でも成立させている仕組みについて考えるのは面白いですよね。部屋にしても、例えばものがあれば部屋なのかっていう。最初に「もの」が置かれてるだけの状況から部屋に見えるようになる瞬間って、人がそこに入って来て「もの」に意思が乗ってからで、それから「もの」や部屋が意味を持ち始めるわけですよね。この机は記号として「机」だから机なんだけど、机として使われるまではもしかすると机じゃないかもしれない。これを机として使うっていう人の意思が乗ってから机になる。トイレも、SCOOLのあの角が部屋のトイレってことになってたけど、ここが「トイレ」だって決めたときにそこがトイレになるわけで。僕犬飼ってるんですけど、オシッコシートとかがあればしたい時にそれ敷いてペッてやれば良いわけで、でも誰かがオシッコする部屋はトイレだって決めてるんですよ。だから人の意思みたいなのがものに乗ったときにその場所が部屋になっていくんかなって思った。で、初演の時もそうだったけど、この演劇はそれをズラしていくわけですよね。今回はオチ的にも部屋は人の意思、あるいは意思の乗った「もの」でできてますみたいな見せ方になってたけど。そう、でルンバがやばかったんだけど、あれってルンバ?

福井: ブラーバです。床拭きロボット。

向坂: 僕たちがギリギリ共有していた部屋をこいつが壊していくじゃないですか。部屋の様子が変遷していく中で、今こういう部屋になってんなーってなんとなくみんなで共有できていたイメージはこいつとは共有できない。そういう風にできてないので(笑)自動運転し始めて、ここでぶつかったからじゃあここまでが部屋だ、つって折り返して戻ってくる。こいつが演劇的であり、かつリアルな部屋っていうのをマテリアルとして判断して動いていくから、部屋を壊しちゃう。それがすご~いって(笑)計算されてんなって(笑)でも仕組みとしてはわかりやすくて良いですよね。どれだけ俳優と私たちがここまではこういう部屋なんだね、ここからはこういう部屋なんだねって共有していても、あるいは一回共有したそれをまた別の俳優が入ってきてその都度更新していくから、その都度僕らもそれを追いかけていくって構造だけど、そういうやりとりで作られてきたものをまとめてこいつはぶち壊す。これは演劇でいうとメタのやつですよね、これは全部嘘ですっていう。その暴露の仕方も絶妙にふざけてて。なんだろうな、どうだ!見ろ!みたいな、本当は違うんだ!みたいなことじゃなくて、ただ淡々と壊していく。それが抜群に面白かったですね。しかも機能がさ、これ安いやつでしょ?

福井: いや。ルンバと同じメーカーのなんで結構良いやつです、多分。

向坂 さほど高機能そうな動きしてなかったけどな(笑)

福井: 逆にめっちゃ丁寧に動くからですかね。折り返す時こうグワーって曲がってくれて良いんですけど、隙間なくしっかり拭こうとしてくれるから。

向坂: ああなるほどね。

 

向坂: この一箇所に集合させた状態だともう部屋には見えないわけですよね。さっきので言えば、石と木があれば庭に見えるって言うけど、お寺の裏とかにある石置き場みたいな、石がいっぱいブワーって置いてあるだけの場所は庭には見えない。それと同じでこれは部屋には見えない。

福井: 部屋との関係やそこで暮らす生活者の活動から一回離れて、「もの」そのものの自然なあり方というか、もう少し別の現れ方があるだろうと金子さんと話していて。あくまで部屋の中にありながらそれを実現しようって考えると、やっぱ収納やなって。それで押し入れにしまおうってなりましたね。

向坂: 見られてないってことなのかな。だから金子さんが押し入れ開けてハンガーを見つけ出すっていうのも面白かったですね。探して見つけるっていうのは。

福井: 『365日のシンプルライフ』っていう映画があって、そこから参照してる部分もあります。ドキュメンタリー映画なんですけど、監督の自宅にあるものを全部貸し倉庫に一旦預けて、一日一個ずつその倉庫から自分の部屋に持ち帰れるっていうルールで一年間生活をする。その間買い物はできないっていう。だから冒頭、監督が全裸で倉庫にコート取りに行く場面から始まるんですけど。

向坂: 最初コートなんだ。パンツじゃなくて。

福井: 寒いんすよ、確かフィンランドの映画なんで。倉庫から部屋にものを持ち帰るたびに、彼の部屋あるいは彼の生活が徐々に復元されていくわけですけど、例えばものを倉庫から部屋に全部持ち帰った時、以前と全く同じ部屋が復元されてるのかっていうとそうじゃないだろうし、また同じ生活を再開するってことは無理ですよね。ものの配置や間取りが同じでも、そこに形成されてる部屋の秩序は変わってるというか一回リセットされてるはずだから。

 

向坂: 関係ないというか、そういう劇ではないのでそういう風には読まないですけど、コーラとマクドナルドの袋が出てきたら、これはアメリカ的な資本主義に対する思想があるのかなって風にさ、演劇の人ってそういう風に見るの好きじゃない?それはどうなの、まだ言われてない?

福井: それは言われてないですけど、ものがそもそも持ってる意味とかイメージとどう距離とってるのかっていうと、割と軽い気持ちというか、通俗的な感覚で考えてますね。コーラを置くことが先に決まってて、なんか側に一緒に置きたいなってときに、じゃあマクドかみたいな。それはイメージ的な結びつき+ものの輪郭とかビジュアルもあるんですけど。でも上演してみると確かにいくつか気になってきて、例えばあのスチーマーとか、実際に石田さんの部屋にあるもので、稽古の最初に「部屋の中にある生活を豊かにするもの」として持ってきていただいて、それを実際に上演の中でも使ってもらってるんですけど、なんかやっぱりアイテムとしては女性っぽいし、あくまで演劇として俳優自身ではないある女性の部屋っていう仮構のレイヤーを介している以上、それが女性的なアイコンに映ってるのかもなとか。

向坂: うん。コーラとかはでもそうなんだよね。アイコンとしての意味が強すぎるから。あとそういう記号的なことでいえば、初演の時は僕と別に金子さんっていう女性の方が出てて。なんか片付ける役だったんだよね。

福井: そうですね。今回は二人の生活者が入れ替わり立ち替わり交互に部屋に現れて生活するって感じだったんですけど、前は一人が三回生活を繰り返して、その後に家事代行業者がやってきて部屋を掃除するっていう流れで。

向坂: それが付き合っている人なのか業者なのかは観ててよくわからないんだけど、その役に女性をキャスティングしたときにフェミ的にはちょっとそういう感じになるじゃん。でもこれ、逆に男性をキャスティングして、男性が片付けしに入ってくると意味わからんくなるというか、逆に選択肢が広くなるし。世界がそこまで進んでないので、どうしても記号的ないわゆる?みたいなところに預けないと、違う意味に汲み取られてしまうってこともあるわけでさ、そういうところがコーラとかにしても難しいよね。どこまで考えるべきなんかね。福井くんの場合「もの」を使うので、そういうことがノイズになる可能性があるって意味では大変なのかもね。まだ大丈夫だと思うんだけど、もうちょっとそういうのが騒がれるようになってくると、なんでこの「もの」なんですかとか。だからものと記号と属性みたいなことを横断してやる時に、そういうことまで読まれるかもしれない。

福井: 特に今回は生活空間における人と「もの」の関係だから、生活って基本他人に見せるものじゃないですから。舞台に上げる上である程度漂白させるというか、無菌化するというか、あくまで作り物として提示するっていう意識は念頭にありましたね。

向坂: モンスターエンジンって芸人が、昔「神々の~」っていうネタを一生できるって言ってて。もうシステムが出来上がってるから。でもそれずっとやってると芸人としてダメになんでって東野かなんかに言われてたんだけど、そういう意味ではこれ一生できるやつやなって(笑)これずっとやっててダメになるとは思わないけど、このシステムっていうか、もの入れ替えたり、俳優入れ替えたりしてもできるだろうし。今こういう空間だけど、例えばお寺の本堂だったらどうだろうとか、公民館みたいなところだったらどうだろうとか、このパターンって一生できそうだからライフワークにするっていうのもいいんじゃないかな。わかんないけど。いいの見つけたねっていう感じがした。

福井: でも一回きりというよりは一つのフォーマットとして作ろうと思ってたので。今回上演は初めてですけど、来月は京都のE9っていう劇場でやるし。

向坂: 全然違うでしょ?むしろ同じことはできないだろうから。これ一生できるだろうし、全部見ないと分かったとは言えないみたいな公演の形にもできるだろうね。楽しみです。

向坂達矢(むこうざか・たつや)

元京都ロマンポップ代表

静岡県生まれ。千葉県在住。大学在学中の2005年、京都にて「20世紀浪漫POP倶楽部」(現:京都ロマンポップ)を旗揚げ。以来、2019年劇団解散に至るまで代表を務める。ほとんどの作品の演出を手がけている。2009年からの「さかあがりハリケーンシリーズ」ではすべての作・演出を手がける。2015年から劇団解散公演をしていた。2019年に無事劇団を解散させた後、千葉県に移住する。

Kyoto, Japan

© 2020 Hirotaka Fukui