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土間の隅に置いておく / 2020年7月16日  8時40分

山川陸
東京都

春から、家が工事現場です。というより、工事現場を家にしています。古い木造一軒家をシェハウスに改修する友人の計画に、僕は住人の一人として加わりました。床板を貼り直しただけの一室は引越しの段ボール箱で一杯で、その部屋の外は目まぐるしく変わるのでした。床がなく泥まみれの日があれば、天井がなくなり吹き抜けが現れたり、朝から大量の資材が運び込まれたり。工事には参加したり、しなかったりですが、家が育つ、とはこういうことなのかと思いました。 でした、とは書いたものの、工事はいまだ終わっていません。いつ終わるかも特に決まっていません。 毎日部屋を出て、サンダルをつっかけてトイレまで歩きます。トイレはリビングになる予定の土間に面しています。土間には工事で使う材料や工具がドカドカと置かれ、蚤の市で入手したステンレスの天板やビニルカーテンが朝日を受けて煌めきます。前の家から持ってきた天板は、傷がつくのを恐れてプチプチの梱包材で覆ったまま、脚に載せてテーブルにしました。頭上は吹き抜けていて、二階の三部屋への空気の繋がりがなんとなく感じられます。僕は二階へ上がることはほとんどなく、工事すらしていない今、家の多くはほとんど外のようなものです。外出するための自室から玄関までの歩みは、そのまま外の路地を歩くことと大差ありません。薄いガラスと壁越しに聞こえる近所の音や声が、この家の外らしさを強めます。文字通り、この町に暮らす、という感覚がこの家にはあります。壁に囲まれた空気も、外の空気も、同じ町のものです。黒い箱も、中に空気だけが詰まっているという点で、この家と似たようなものだ、と受け取る前からその存在を納得しかけました。この家に、きっとそれは馴染んでしまうだろう、とも思いました。

 

 

受け取りの日、黒い箱は自宅ではなく帰省した実家で受け取りました。届いた黒い段ボール箱、その中に入った少しだけ小さいであろう黒い箱を開封せずに確かめていると、手持ちは大変だと母が言い、黒い紙袋に黒い段ボール箱を入れてくれました。ぴったりのサイズです。この適切な紙袋がすぐ出てきたことに、実家の実家性を感じます。 自宅とは逆の方向へどんどん遠ざかりながら弟とドライブをし、夜には帰京する鈍行へ乗りました。傍らには黒い紙袋に入った黒い段ボール箱。思っていたよりも軽い。空いた電車の中では、重さよりも気がかりだった大きさを気にする必要はなく、数時間かけて最寄り駅へ帰ってこれました。暗く細い夜道を抜けて、家についたのは深夜です。電気をつけて、黒い箱はひとまず開梱せず、数日前に持ってきた車輪つきの什器の脇に置きました。迷わずそこに置き、疲れていたので開梱は翌朝にしました。 翌朝、黒い段ボール箱を開くと、中から黒い箱が出てきました。黒い箱の黒い穴の中からは大きめの丸い石が出てきました。黒い紙袋は、この先使うこともないなと思いゴミ箱へ、黒い段ボール箱は天袋の収納にしまいました。ブラックボックスにおいてはないことになる黒色は、この家では消える記号として機能しません。しかし、ただ場所を占めてしまっている物がそもそも多いこの家では、黒い箱はすでに物として消えかかっています。黒い段ボール箱に入っている方が、よほど存在感がありました。祖父母からいつも届くみかんが、ちょうどこれくらいの大きさの段ボール箱に詰められて届くことを思い出し、黒い箱は少し重さを取り戻しましたが、それでもほとんど意識にのぼらない時間が続きます。 数日経った頃、プチプチに包まれたテーブル上で、模様替えがおきました。そのテーブルは特注で、一人で使うには持て余す広さです。長時間のオンラインミーティングで、僕はパソコンの画面上で速記やドローイングをします。画面への書き込みは、後ろに支えるものがないと、書き込む力で画面が倒れすぎて壊れる危険があります。画面を支えるものが必要です。資材は多分にあり作ればよいのに、そうする気にならない僕の目についたのは黒い箱でした。ホコリを払って、机のちょうど真ん中に横向きに箱を置き、そこへ向かって角材や板材で高さを調整したノートパソコンを立て掛けます。ぴったりでした。黒い箱をただ置いておくことの我慢がなぜだかできなかったのです。 中央に黒い箱を置いて以来、その広さは様子を変えていきました。最初はターミナルのように、PCに関係するもの―スピーカーや充電器、イヤホンのケースが黒い頂部に並びました。打ち合わせの参考書籍が積まれ、グラスと水のペットボトルが、そして爪切りが、ひげ剃りが、ワックスが、財布が、食べるかもしれないお菓子が。黒い頂きを中心に、裾野に物がバラバラと広がり、一人で使うにはどうも大きかったテーブルが徐々に埋まっていきました。黒い箱が、家の中心になりました。

 

 

そして何日間が経ち、黒い箱は馴染み、日数も曖昧になり、気づけば最終日を迎えていました。黒い箱を黒い段ボール箱に戻し、肩にそれをかつぎ宅配便の営業所へ持っていきました。やはり、思ったより軽い。荷物は集荷され、少し身軽になり、家に帰ると、ボコッと黒い箱を抜き取った跡がテーブルにあります。山は崩れました、パソコンの画面をうまく支えるちょうどよい物体はもう家には見当たらず、かといって新たな箱を作ることもなく、机から裾野も消え、広い平面がまた現れました。 便利だったのに、なぜ同じ大きさの箱を自分で作らないのか。黒い箱がいた時間の、特別さを守ろうとしているのかもしれません。物が寄り集まってくる、コントロールしきれない机上を避けたいのかもしれません。あるいはただの、面倒くさがりかもしれません。

 

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机上で物を寄り集める / 2020年8月1日 0時26分​

〈プロフィール〉

山川陸(やまかわ・りく)

建築家。山川陸設計 主宰。1990年生。東京藝術大学美術学部建築科卒業。建築物に限らず、広義の設計に取り組む。

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