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あっという間にCDとDVDと本が山積みになる

野澤美希
大阪府

「黒い箱」が変えたこと

 

3月初旬から5月末まで、新型コロナウィルス感染拡大の余波が生活を変えていった。61日、5月末まで在宅勤務/待機になっていた仕事が職場に出勤しての勤務に切り替わり、この日を1つの大きな区切りとして意識した。あれから5ヶ月と少し。振り返ると、ガラリと変わったこともあれば、変わらなかったこともある。私は、その両方を見つめながらも、どちらかというと「変わらなかったこと」に目を向けている。なぜ変わらなかったのか。変わらないことから何が分かるか。「変わらない」ということは何を意味しているのかーー身の回りにある、あるいは自分自身の中にある「変わったこと」と「変わらなかったこと」について、ずっと考えている。

預かった箱馬は「黒い箱」と呼ばれて私の家に運ばれてきた。寝室の襖とテレビの間の隙間にしばらく置いたあと、最終日までの何日かは、ちょうどすっぽり入ったベッドの下に仕舞っておいた。どちらの場所も家にいる時、頻繁に目に入ってくる場所だ。

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ベッドの下に箱馬

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家にいる間ほぼベッドの上

最終日、ベッドの下から取り出して、箱に箱馬を詰めてテープで蓋を閉じて梱包した。すぐにヤマト運輸のドライバーさんが集荷に来て箱馬は運ばれていった。寝室に戻って、椅子に座って、箱馬を置いていたベッドの下と襖とテレビの隙間を見ながら、ぼーっとした。ふと「変わったこと」と「変わらなかったこと」を考えてみた。でも3週間、箱馬は箱馬のままだったし、特に何も「変わった」とは思わなかった。「変わらなかったこと」の出来事になるなと、その時は思っていた。

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隙間を埋める前

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隙間が埋まった後

ここのところ、私はすごく忙しない。忙(いそが)しいのではなく、忙(せわ)しないのだ。朝起きて仕事に行く。手を動かせば仕事は進むし、相変わらず3食食べて日々の生活は回っている。けれど、取り留めもなく、どんどん時間が進んでいる。それは何か大事なものを、全身で振り払い、両手ですくい上げても取り零していくような感覚で、ずっと満たされることがない。なぜだろうと、ふと「変わったこと」と「変わらなかったこと」を考えてみる。気づけばもう半年も、チケットを買って劇場へ作品の上演を見に行くということをしていない。

 

箱馬を返却してしばらくすると、突然予定が詰まって忙しくなった。日々流れていく時間のスピードは速くなり、目の前を流れていく「何か大事なもの」の量が増していった。深夜に帰宅して寝室で椅子に座ってぼーっとする。箱馬を置いていたベッドの下と襖とテレビの隙間を見ながら、3週間置いていた箱馬を想う。あそこに置いていた箱馬は、「黒い箱」としてではなくて、劇場で箱馬としての役割を与えられているのだろうか、と想像する。どんな作品のどんな部分の役割になっているだろうか。仮設客席の土台にでもなっているのか。その作品はどんな作品だろう。いつ箱馬は役割を与えられるのだろうーーそしてふと、自分が劇場に行って作品を観たいと思う理由は、一体何だったのか、考え始める。

 

文化施設で仕事をして、舞台芸術に多少なりとも関わる仕事をしていると、劇場で作品を観ることは、もはや日常的なこととして染み付いていた。でも、仕事での意識と時間の流れから切り離したところで、「劇場に行って作品を観ること」を自分がどう捉えているか、あまり言葉にしてこなかったように思う。

 

チケットを買って、決められた日時に劇場に行って、作品の上演に立ち会って、家に帰ってくるーー今思えばこの一連の行動は、そういうどうしようもなく進んでいってしまう「時間」と、自分からどうしようもなく流れて出していってしまう「何か大事なもの」を、一度拾い上げて、手で触って見つめ直すためのものだったのかもしれないと考えている。ライブ配信やストリーミング配信、VODDVDで、PCやスマホのモニターを通じて作品を見ることはできる。でもそれは、あくまでも作品の内容を「把握した」というだけのことであって、作品に「触れた」とは言えないのではないか。つまり、作品を把握したところで「触れ」られないのなら、自分の「時間」と「何か大事な物」にも「触る」ことはできないのだ。

 

「黒い箱」は、(あたりまえだけれど)箱馬のまま変わらなかった。けれど、劇場の一部である箱馬が劇場から自宅に運び込まれて、自宅から劇場に戻されるという、この一連の目に見える物理的移動は、自分自身と劇場の関係というものを強く意識させた。何か「変わった」とするのなら、私の方だ。ただ、何かが大きく「変わった」というわけではない。河川に落ちている石ころが、川の流れを遮り、水流のスピードを時折不規則にするような、小さな変化だ。日々の中で、どうしようもなく進んでいってしまう「時間」と、自分からどうしようもなく流れて出していってしまう「何か大事なもの」を、「黒い箱」は、時折小さく堰き止めてくれている。両手で一度拾い上げて、手で触って見つめ直せる日を待ちながら。

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夕焼けがきれいで立ち止まった

〈プロフィール〉

野澤美希(のざわ・みき)

1994年横浜生まれ。大阪在住。京都造形芸術大学アートプロデュース学科卒。芸術文化の周縁を調べて考える人。京阪神を行き来しつつ、某文化施設の広報担当/某大学の研究助手として仕事をする日々。オーケストラと、アイドルと、こけしが大好き。

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