インテリア / Interior

シアターマテリアルアーカイブ部 座談会
福井裕孝×相模友士郎×中川桃子×新里直之
劇場は「何かがある場所」
新里 シアターマテリアルの試みは、どんなきっかけで始まったのですか?
福井 僕がTHEATRE E9 KYOTOのアソシエイトアーティスト(以下、AA)として、2022年から3年間、劇場で作品を発表する機会をいただいたのが、そもそものきっかけです。AAの申請書にも書いたんですが、演劇の上演のための場を「何もない空間」とよく言うけど、そこには壁や床がある。だからこれまで作品をつくるときは、常にそこは「何かがある場所」だと考えることから始めてきたんですけど、一方で、劇場でずっと壁や床のことを気にしてても仕方ないという思いもあって。
だから、このAAとしての3年間を、自分なりに劇場という場所を了解する機会にしようと思って、今回の企画を構想しました。
新里 AAとして活動する前に、すでにこのプロジェクトにつながる関心があったんですね。
福井 当初考えていたのは、劇場の中にある〈もの〉を全部外の鴨川の土手に並べて、E9の関係者の皆さんと一緒に記念写真を撮るというものです。『地球家族(マテリアルワールド)』というプロジェクトがあって、家の中にある〈もの〉を全部外に出して並べて、そこで暮らしてる家族と一緒に写真に収めたものが写真集になってるんですけど、それを劇場でやれたら面白そうだなと。E9と何度か打ち合わせもしたんですけど、やっぱり劇場の〈もの〉を屋外に持ち出すことの障壁が大きくて断念して、最終的に今のプランに落ち着きました。
新里 劇場の〈もの〉は注目されることが少ないというか、来場者の意識下に沈んでいることも多いので、〈図〉ではなく〈地〉の領域へとアプローチする試みと言えそうですね。
福井 そうですね。いわば〈図〉たり得ない劇場を見ていくことが、逆説的に〈図〉としての上演について考えることにも繋がるんじゃないかと。

撮影の様子
新里 記録作業では、相模さんが写真撮影、中川さんが撮影アシスタントを担当しています。相模さんは、福井さんからの相談を受けて、どういう関心で引き受けたんですか?
相模 そうですね…そもそも、なんで呼んでくれたんだっけ(笑)。
福井 写真のことはよくわからないんですけど、純粋にカメラマンとしての仕事に徹してくれる人というよりは、劇場の〈もの〉をひたすら撮影していくことへの関心を共有できる人とやれた方がいいだろうなと。相模さんは写真も撮るし、〈もの〉の関心を扱った舞台作品を発表されてることも知っていたので適任なんじゃないかと思ってご連絡しました。
相模 最初に話をもらった時は、劇場にある〈もの〉を、とにかく一個一個、全部撮るという感じで。福井君の作品は見たことなかったんですけど、〈もの〉に対して何かしら関心がある作家というのは知っていたし、自分自身もそういう関心はもちろんあるので、会って話をしました。そして、単純に膨大な量があるから人手が必要というのもあったんですけど、僕は写真もやっているけど、どっちかというとつくり手としてのアイデンティティは舞台寄りではあるから、自分とは別に写真に関心の強い人がもう一人いるといいなと。それで、これまで何回か僕の仕事を手伝ってもらった中川さんを呼ぼうとなりました。
新里 中川さんに声がかかったとき、具体的な撮影プランは決まっていたんですか?
中川 いえ、結構大変そうな撮影があるんだよ、くらい(笑)。量が多いことをとりあえず聞いて、あとは説明してもらいながら進めた感じでしたね。
相模 僕と中川さんは撮影者として参加しているけど、同時に僕はドラマトゥルク的に関わっていたところもあって、どういうふうに撮っていくかをそういう視点からも話していたような気がします。必ずしも記録として親切でなくてもいいという方向性で合意が取れてからは、あとは現場で柔軟に決めていこうという感じでしたね。

撮影の様子
劇場というスケール
相模 最初のイメージとしては、〈もの〉を取り出して、それだけを撮るというベーシックな物撮りのやり方。でも劇場にテスト撮影をしに行ったとき、白の背景紙の前に置いて試しに撮ってみると、何か違うなぁと。もう少し〈もの〉が、それが置かれている文脈から切り離しきれない状態で撮る方がいいだろうということになって、それで劇場の黒い空間を背景に撮ることになりました。画角も完全に固定して、めっちゃ小さいものは写らないかもしれないけど、とにかく劇場という場所をひとつ基準にして、〈もの〉を同じスケールで等しく観察できるように撮っていくことにしました。
福井 〈もの〉を見るというときに、劇場における観客の視点を想定していたのもあると思います。対象に合わせて映像的にズームイン/アウトするのではなくて、劇場のパースペクティブを基準に〈もの〉との距離感を決めようと。

テスト撮影の様子
何を〈もの〉と見なすのか
新里 事前に何回か撮影テストをしたんですか?
福井 テストは一回だけですね。どこにどれぐらいの〈もの〉があるかっていうリストをつくるために、僕が劇場に行くことは何回かあったんですけど。
新里 リストをつくる上で、どこまで記録するのかクリアにする必要がありますよね。全てを記録するといっても、劇場内の動かせないものを埒外に置いたり、記録の対象外とするスペースを割り出したり。
福井 〈もの〉を全て記録するというとき、つまり何を〈もの〉と見なすのかという話ですけど、今回は「それが置かれている場所から舞台上まで一時的に移動させることができるもの」というのが、一つ明確な基準になっていました。移動させることができない事情はそれぞれですけど、たとえば、エアコンや便器は建物に定着しているから業者を呼ばないと動かせない。だから、これらは〈もの〉じゃなくて〈建物〉と考える。あと、撮影方法と関わるところでいうと、E9には客席用の椅子が80脚あるんですけど、それらをひとつひとつ別物と見なすのではなくて、記録上はひとつの〈もの〉と考える。その上で、それが全部写っている写真と、それから一つを取り出した単体の写真をそれぞれ撮影する、というのを原則にしていました。
新里 部分と全体の関係でいうと、部材として捉えるのか、組み合わさったひとつの〈もの〉と捉えるのか、切り分けに困ることはなかったですか?
福井 そういう時は、それを単体の〈もの〉として名指すことができるかどうかで判断していた気がします。たとえば、ローリングタワーという備品は、普段は分解された状態で部品ごとにまとめて保管されているけど、その一個一個の部品を見ても「ローリングタワーの部品」としか言いようがないから、各部品は記録上はカウントしない。その代わりローリングタワーの写真として、バラバラの部品の状態も撮影するという。
新里 撮影のやり方を探っているうちに、名指すという行為、つまり〈もの〉と言葉との関係に行きあたっているのは、興味深いですよね。

rec-001 ローリングタワー
記録の合意形成
新里 記録作業のことをもう少し聞きたいのですが、事前にリストをつくって本格的な撮影に臨んだわけですよね。劇場入りした4日間で、どれくらいの〈もの〉を、何カットくらい撮るという作業のボリュームは、ある程度、見通していたのですか?
福井 事前に僕がつくっていたリストはかなり粗いものだったので、まあ4日あれば間に合うかな…ぐらいの見通しでしたね。実際に〈もの〉が何点あるのかも把握してなかったし、現場で一個一個見ていくしかないなと…。
新里 〈もの〉をどのようにセットして撮影するのかといった細かいことは、作業をしながら決めていったんですか?
相模 撮影に入る前の段階で、ライティング・画角・〈もの〉の置き位置の3つは決めて固定していたので、カメラの操作はシャッターを押すだけだったんですね。撮影の手順としては、福井君が事前に分けたいくつかのブロックの〈もの〉が、劇場内にダーッと運ばれてくる。そこから〈もの〉を一個置いて、撮影して、どかして、また置いて、撮影して……というような手順です。そういう意味では、かなりオートマチックです。事前にテスト撮影をして、福井君と「こんな画でいいよね」と、構図自体は決めていたから、撮影で何か迷うことはほとんどないと思っていました。
ただ、実際問題になったのは、〈もの〉をどう置くのかということ。正面なのか、ちょっと斜めなのか、右向きなのか、左向きなのか。一番最初に撮ったのは冷蔵庫だったんだけど、正面がいいのか、ちょっと角度を振った方がいいのか、正直どっちでもいいというか、重要じゃないかもしれないけど、それが一番重要な気もするし…。結局初日はそのあたりを決めず、正面も横も一応撮っておくか、という感じでやっていきましたね。
新里 いかに記録するのか決める選択は、いかに記録しないのか、つまり〈もの〉のどの側面を切り落とすのか決める選択でもありますよね。撮影の模様を聞いていて、アーカイブには常に記録からこぼれ落ちるものとの関係がつきまとうことを思い出しました。
福井 〈もの〉の置き方というのは、要は地面との関係を考えることなのかなと。最初八の字に巻かれたケーブルを普通に寝かせて撮影したときに、ほとんど地面と同化してわからなくて。
相模 そうそう。ケーブルを床に水平に置いたら写ってはいるけど、めちゃくちゃ見づらいという単純な事情があって。それを解決するには、高さを作るために束ねたケーブルをどうにか垂直に立てるという作業が必要になる。水平の状態でも別に撮れてはいるけど、記録としてもうちょっと良く見せようと、ある種合理性を度外視した置き方をし始めるんですね。わざわざ時間をかけて、ふにゃふにゃのケーブルを何とか立たせようとしてる時間は、〈もの〉との関係が逆転しているというか、〈もの〉に奉仕していているような感覚があって、撮影してからもう1年くらい経つけど、その時のことは経験として今も残っていますね。
新里 記録に際して、〈もの〉が元々置かれていたシチュエーションは考慮に入れたんですか?
福井 〈もの〉によってはそうですね。壁に貼ってあった掲示物とかは、箱馬を縦に何個か積んで壁を作って、そこに張り付けてみたり。劇場の黒い背景の力を借りつつ、〈もの〉があった状況を演劇的に再現するみたいな工夫は随所でありましたね。
相模 〈もの〉を立たせる、あるいは正面を向けることは考えてたかな。壁に貼ってあった掲示物を地面に置いて撮っても、その場の状況は全く保存されないから、何かに貼り付けて、正面向けた方がいいとか。やれること、やれないことはもちろんあるんですけど。
福井 確かに置くというより、立たせるっていう感覚でしたね。

theA-005-05-01 スピーカーケーブル 15m
リストと写真が補い合う関係
新里 撮影対象は相当な数に上っていますけど、なかでも撮るのに苦労した〈もの〉は何ですか?
福井 たとえば劇場の備品を収納してる棚は、棚全体をひとつの〈もの〉として撮ってから、そこに収納されている〈もの〉をひとつひとつ撮っていくんですけど、棚の中にケースがあって、そのケースの中に箱があって、その箱の中に何かちっちゃい袋があって、その袋の中から最終よくわからない備品が沢山出てくる。全体から部分に向かって掘り起こしていくにつれて、〈もの〉もどんどん細かくなっていって、「これいつ終わんねん」っていう、出口の見えないしんどさはありましたね。
相模 箱の中に箱、の中に箱、の中に箱…マトリョーシカみたいな感じで、
新里 3人の間で、これは撮るべき/これは撮らなくてもいいという判断は一致しましたか?
福井 初日はその辺の方針があんまり定まってなくて。初日に舞台の細々した備品がいっぱい入ったカゴがあったんですけど、その時はカゴの外観を撮った後、中身を出して全部一緒くたにまとめて撮って、良しとしたんですね。でもやっていく内に、中身も全部ひとつひとつ撮影しようということになったから、後でもう一回撮り直しました。
相模 やっていく内に苦労するのが美徳みたいな、非合理的なこだわりが生まれてきて、これは危ない兆候だったとも思うんだけど、そうなるとどんどん手間が増えてくる。序盤は効率重視だったのが、やっていく内にルールが決まっていって、とにかく全部撮ったと実感が持てるところまで、どれだけ非合理的でも徹底的にやろうという感じになって。あとはそれをどこで終わらすのかという…。
福井 やっていくうちにどんどん視野が狭くなって、変なハイに陥るというか。中川さんが楽屋のハンガーを一個一個置いてたところとか…。
中川 そうですね。
相模 楽屋のラックにかかっているハンガーがよく見たら全部種類が違っていて、色や形の違う〈もの〉として1個ずつひたすら撮ってたね。
新里 撮影時点で、すでに写真に何らかのメタデータを付けるつもりだったんですか?
福井 はい。パッと見てわからないものは、現場に付いてくださっていたE9の管理のスタッフさんに「これ何ですか?」って尋ねて、その場で情報を入力してました。
新里 最終的に写真とメタデータとが相互に補完し合うという予測が、撮り方に影響している感じがありそうですね。
相模 あると思います。メタデータで写っていない情報は補完するという前提があったから、デカい脚立が入るような画角でペン1本を撮るという判断もできました。
新里 ちなみに一番小さな被写体は、何だったんですか?
福井 釘とかは容れ物からバーッと出して集合単位で撮っているから、単体で一番小さい〈もの〉で言うと…音響のピンとか?
相模 変換ジャックとか? あとピンマイクのふわふわが袋に2つ入ってるやつとかね。 それも袋に入った状態で撮ったあと、中身の黒いふわふわを地面に置いて撮るから、写真としては当然見えないんだけど、そこに〈もの〉が写っていることはリストの言葉が保証しているから。
逆にリストの〈もの〉が何であるのかは、写真を見ればわかるというふうに、双方向から記録している感覚でしたね。
