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テーブルで人とものが共演する『デスクトップ・シアター』。少し謎めいて見えるこの作品、作り手にとっても試行錯誤の連続です。いったいどういう作品なのか、具体的なエピソードやキーワードをドラマトゥルク(座組全体のサポート役)の朴建雄がクリエーションメンバーから聞き、創作の現在地を共有していきます。

今回は3回目。出演の小坂浩之と篠原加奈子、宮田直人に話を聞きました。

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vol.3

演劇をアンラーニングする

ふわふわタイム

小坂浩之(出演)/ 篠原加奈子(出演)/ 宮田直人(出演)

 

パーツとして果たす役割:演劇をアンラーニングする

朴   稽古でお忙しいところ、お時間いただきましてありがとうございます。ざっくばらんに創作現場での実感を伺っていけたらと考えているのですが、いまどないな感じですか?

 

 

小坂  宮田さん、どないな感じですか笑

 

 

宮田  どないな感じですかって難しいですね笑。ここ数日、一週間くらいで全体のかたちが見えてきた感じはありますね。それまではパーツ、パーツでやってた。同じ時間軸でやるのわかってはいたけど、だから全体でどうなるのかわかっていなくて、それが通しをして見えてきたのが大きいですね。公演というより展示って思ったほうがいいと誰かが言っていたけど、本当にそうだなあと思ってます。公演の定義に関する偏った考えとして、観客に対して、感情だったり物語だったり、いろいろなものを飛ばすというのがあると思ってます。こういう観客が受け身な形が主な演劇のスタイルとされていると思うんですけど、展示とかって、たまに美術館とか行くんですが、何がいいかって言うと、自分が好きに見られるところですね。自分の時間もある。どういう風に絵が並んでいるか、道筋は決まってるけど、長いゆったりした時間で物事を見ていける。これは舞台から何かどんどん飛んでくるというのは違うのかなという印象はあります。

 

 

小坂  宮田さんの言う通り、プラモデルの各パーツを作ってる感じ。車で言うと、ボディ作ってます、扉作ってます、みたいな感じ。組み合わせる作業中ですね。そこで、寸法が合わなかったり、うまくかっちりハマらないねというのを確認して、そこからどういうフォルムを作るか、どうやってかっちり固めるかを考える作業を昨日からはじめた感じですね。いろんな機能がある車ですね。機能がありすぎて、どう整理すればいいのかというのもあります。出演者9人がいますけど、それぞれがどういうパーツになって、どういう機能をはたしていくか、演出の福井さん、吉野さんが協議している印象です。

 

 

朴   宮田さんはどういう機能を果たしてると思いますか?

 

 

宮田  ちょっと難しいですね。出演者のなかでは、たぶん鶴田さんが一番フリー。ジョーカー的な役割だと伺いました。それと他の人との中間くらいかなと思ってます。どちらかというと黒子で、補助する人という役回りが多い印象を受けますね。人の補助が多い気がします。実際にものを動かして上演してる人たちがそれぞれのテーブルいて、その人たちがものを動かすために手伝う、プリセットする、そういう役割が比較的多めになっています。

 

 

朴  宮田さんのパフォーマーとしての個性から、そうなったんでしょうか?

 

 

宮田  そこ、この公演で課題というかひとつの発見に感じてます。ぼくはジャグラーなので、一般の人よりも、ものを扱う練度が高いというか、いろいろできて当然という感じなんです。実際この現場で感じたのは、みなさんのものの動かし方、扱い方、扱わなくてもそこにいるさまがすごく自然な人が多いということです。パフォーマンスとかじゃなくて、ただ単に素っぽい動かし方ができる人が多い。いざ稽古がはじまると、ぼくは意図的にそういうふうに動かすことができない。変に動かすことはできるけど……。動きが一人特殊で、それがたまに演出を邪魔してしまう気がしています。自分が自分が、という感じで。他の人たちを追いかける感じで、勉強させてもらっているところが結構あります。

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稽古風景(写真:小中葵)

小坂  自分は、ほぼなにも考えずにやってるところが多いですね。

 

 

宮田  それができないんだよな~笑

 

 

小坂  考えると意図が出すぎちゃうみたいなところがあるのかなと思って。テキストにこういう動きをする、みたいなのがあれば、その通りやるだけ。なんの感情込めずに、「ゆっくり置く」とあれば、ゆっくり置くだけ。それしかやってないですね。だからもう何も考えてないです。周りの音を聞いて、今どういうふうな動きがあるのかを感じる。ただそこにいるのをやっている。

 

 

宮田  ぼくがやると、「ものを置く」ときに、「なるべくきれいにものを置く」になってしまいます。みなさんは「置く」、終わり。それが主張とか圧を感じなくていいなと思います。

 

 

小坂  自分には宮田さんの動きが一個一個なにかをしようとしてるとは感じないですし、宮田さんがそういう人なんやろなって感じで見てます。

 

 

宮田  頑張ってそう見えないようにはしてってるんですよ。普段の生活でも最近、何にも考えてなかったときどうものを動かしてたんだろうと思ってます。

 

 

小坂  ぼくも宮田さんも、演劇というようなフィールドで活動してるからそうなるのかなってすごい思います。ある種職業病じゃないですけど、そういう価値観のところにいる。そういう、なにか自分でしようっていう意識でやろうとしている自分がいるってことを実感するだけでいいんじゃないかなと思いますけどね。

 

 

朴   演劇って、「やってますよ」って演技を見せることが多いと思うんですが、そういう演劇における「やってます」をアンラーニングしている感じなのかなと思いました。「やってます」が演劇であるという価値観を捨てて、新しく学びなおす感じ。

 

演劇の面白さ⇒自由度

宮田  それな感じしますね。ここにきて完璧に実感したんですけど、他の現場でもうすうす思ってました。特に演劇で「ん?」って思うことが多かったんですけど。例えば、作品を作るときに、必ず人を作らないといけない。キャラクターとか役作りとか。深めたがりますけど、そこ雑でよくない?と思うことがあったりします。これだからこう、みたいな変な縛りがあって、それ以外を良しとしない風潮があるなと思ってたんですよね。たまにツイッターとかでも、演劇とは人とのやりとりだ、コミュニケーションだ、それができないのはクズだ、みたいな人もいますよね。でもぼくはそういうところじゃないところにひかれて演劇をはじめたんです。そういうのも見たうえでそういうことに興味がわかなかった。それだけが正とされると、自分はなんなんだろうと思います。そういうキャラがあることを否定してるのではなく、こういうのもあっていいという現場で、今まであまりで会えなかったところに来られて、それですごく楽しいですね。

 

 

   宮田さんがお考えの、演劇のおもしろさはどこにあるんでしょうか?

 

 

宮田  一番最初に演劇面白いと思ったのは、高校で入部することになった演劇部で上演していた野田秀樹の『Right Eye』を観たときですね。それまで、いろんなお話やキャラクターがあるといういわゆる演劇に感動しない心を持ってたんですね。そういうのに感動する人もいるんだろうけど、自分はそこまでいいとは思わないという感じ。『Right Eye』では、あくまでここでやってることは嘘だという大前提をもったうえで、舞台で何ができるかということをやっていた。3人で役が回ったり、話の整合性が取れないとか、自由にいろいろやっていい、その自由度の高さが楽しいなって思ったんですよね。もちろんキャラクターの要素とかもあるんですけど。

 

 

   おっしゃるように、演劇の面白さって、インチキだっていうところだと思うんですよね。「ああロミオ、あなたはどうしてロミオなの?」とか言ってても、いやおまえ山田花子じゃん、みたいな。まあでもそれだと何にもならないから、とりあえず今のところはジュリエットってことにしといたろか、っていうテイが演劇だと思ってます。嘘っぱちだから、マジにならずにすむから、だからこそ逆にいろんなカゲキなことだったりができる気がします。ちなみに、小坂さんはどうでしょうか?いつも参加されているような演劇とこの作品、どう違うと思われますか?

ものを演じるからだ

 

小坂  よりどころはだいたいテキストじゃないですか。言葉を体に落とし込んでいく作業があって、それをみんなでセッションのように合わせていくことが多いんですけど。今回は個人の作業がすごく重要。あんまり交流することもほぼない感じの稽古場です。あんまりしゃべってない人もいますし。そういうところが今までやってきたところと違うかな。あと、ぼく今回稽古終わりですごくぐったりするんですよね。なんでやろな、とずっと考えてたんですけど。たぶんこれまで演劇っていうのは人との関わり合いみたいなところを見せていく、そこから生まれてくる物語を見せていく作業が多かったんですけど、今回、ものをテーマにしてるじゃないですか。ものを扱う小坂っていう一人の人間、肉体を持った人を、ものにしようとしてるのかなっていう印象。演出もそうですし、自分の中でも、意識が自分の肉体をものとして扱って操縦してる印象がすごく強い。稽古終わった後に、自分の感情とかがふわっと湧き出て、からだがぐったりしんどくなって疲れが出てくるのかなって印象があります。

 

自分で自分を操縦してる意識が強いですね。脳が肉体をもの化しようとしている。テーブルにあるものたちと均一にしようとしている。意識的か、無意識的かはわからないけど。そんな感じがしますね、今回このクリエーションに参加して。

 

 

宮田  そこで言うと、ぼくは全然つかれないんですよね笑。単純に動いてないこともあるけど、それこそぼくはものと一対一で過ごすこと多いので。練習で8時間、誰とも話さずにやるのがざらです。ものといること自体はつかれないし、普段から一心同体感があります。そこらへんけっこう違うんだな〜。

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稽古風景(写真:小中葵)

 

小坂  ものを扱うっていうところと、ものになろうとしてるところがある。宮田さんは使うっていうところ。ぼくはなるっていうところ。そういう意味で言うと、演技をしようとしているのかもしれないですね。ものになるっていう芝居をしようとしてるのかな?ちょっと違う気もするなあ。

 

 

朴   そもそも、最近の演劇では人がものを演じることがほとんどないのはどうしてなんですかね。人がものを演じるって面白いですよね。例えば、かの有名な漫画『ガラスの仮面』では主人公は木を演じますし、現実でも学芸会で木の役をやるとかありますよね。小坂さんはものをこれまで演じたことはありますか?

 

 

小坂  昔、機関車をやったことあります笑。ぼくは機関車です、みたいなことを延々と話す。で最終的に、機関車から焼却炉に移り変わっていく。そういうことはやったことあります。そのときと今とであんま変わらない。やってることはそんな変わらんかもな。与えられた台詞に機関車です、って書いてあっただけで。それをぼくがしゃべってるだけ。行為としてはそんなに変わらないですね。

 

 

朴   行為。前回に石原さんと斉藤さんに伺った時、居方が難しいという話がありました。居方も同じですか?

 

 

小坂  状態が全然違うんですけど、機関車のときは動きが大きかった気がします。今はすごい静かな感じで対峙してる。居方。表層的なところは違うけど、根本は自分がやってるってとこだと思います。それやってたのは10年くらい前の話なんですけど。自分が自分である以上、やってる行為は同じ、等質という感じもしますね。違ってるけども、違ってない、一緒、ということなのかなあ

 

気持ちよさと面白さを探す

   ありがとうございます。ここまでお話しいただいたように、いわゆる物語に基づいた演劇とこの作品はかなり違うわけですが、「どういう話なの?」ってなりがちな人たちにどう面白がってもらえるのか、を考えるのはすごく大事ですよね。

 

(ここで篠原参加)

 

 

   というわけで、今来てもらったばかりの篠原さんに、この作品のおもしろポイントはどのあたりか?という話をしていただければと思います。

 

 

篠原  おもしろポイントと言われると難しいですが、美術館の展示を見てるような感じが個人的にはあります。2030分のインスタレーションがあり、ちょっと歩くとオブジェがあって、でまた先に絵がある。そういうとこだと、自分で動けますよね。3分くらい見て、「わかんないな」って出て行っちゃったりもできるし。でもこれは演劇なんで、お客さんが60分以上、ひとつの作品にしても10分程度を固定される。作品が来てくれて、それを見るわけですが、ある意味そこに自由度はない。その感覚が面白さで、新しさで、難しさだと個人的に思っています。

 

座る席でも都度見えるものが違います。ほぼ同じ席に座ってても、その瞬間に目線がどう動いたかで発見が違いますし。ストーリーでこういう話だよね、みたいなそういう根底の共通解がないのが面白さや、難しさに繋がっていると思います。同じ値段、時間の中で、どんな体験や価値が生まれるのかなと思いますね。

 

 

宮田  根底の共通解、ないんじゃないですかね。たぶん。

 

 

小坂  観てる人が見つけることなのかなって気もしますけどね。ない人はなくて、ある人はある。観ることで、どう受け止めるのかというところだと思うんです。ぼくは観たら、見つけるかもしれない。お客さんとして見たら、こういうことやったんかな~と。あるかもしれないし、ないかもしれない。

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稽古風景(写真:小中葵)

朴   稽古場でグループを変えて稽古していると伺っていて、観る時間も割とあるのかなと思ってます。観てる時間、どんな感じですか?

 

 

篠原  本番中も観てる時間が多くて、ある意味お客さんに近いんじゃないかなとこっそり思ってます。ここまでのお二方のお話聞いてて、ほんとに人それぞれが稽古の中で自分なりに考えてるんだなと思いました。私は考えるにしても、考えるための経験則がない。踏み込み切れない。そういう戸惑いがあります。稽古の作品ができるまでの過程でみんなが悩んでるのを見ていたうえで通しを観て、この上演では色々なものが重なっていくんだなと思いました。混ざったり、無理して影響しあったり、コミュニケーションとりにいってる感じじゃないです。どこか一部分を観てもいいし、それがほかの部分を観たときにパッと見たときに重なることもある。そこのストレスのなさは観ていて感じます。ただ一方で、空間が真っ暗な黒基調のところで音もないので、ちょっとしたものも響くから、それがストレスになることもあるなっていう感想です。

 

 

宮田  篠原さんって、この現場にしては珍しくものより人が好きなタイプに見えます。

 

 

篠原  自分は座組の中でいちばん俗っぽいなと思います。いわゆるキラキラしたタイプではないんですけど、ここにいるとあれ、一番俗っぽいなって思うっていう、その不思議なバランスはあります。俗っぽいは、こだわりの方向性や深さの表れとも思ったりするんですが、私にはひとつのことについて考え続ける、なにかに固執するというのがあまりないので。どちらかというと、最初は演出の頭の中をできるだけ再現しようと思ってました。でもいざ入ってみると福井さんも悩まれている。最初は正解を探しに行こうと思っていたんですけど、そうじゃなくて、気持ちいい点とか、これは面白いんだなというのを探すことなんだなというのがわかりました。

 

俗っぽさに話を戻すと、少なくともこの現場では、こうしたい、こういう自分を出したい、どう見られたいというのがないので、言われたとおりにひょいひょいひょいっていけます。

こだわりがなくて、むしろ邪魔したくない。

 

ふわふわタイムで偶然から必然へ

 

朴   ありがとうございます。そろそろ最後の質問をさせていただけたらと思います。さきほど篠原さんからお話があったように、正解を探しに行くのではなくて、気持ちいい、面白いポイントを探すのが創作において重要なことだと思うのですが、みなさんの気持ちいいポイントや面白いポイントをお聞かせいただけたらと思います。

 

 

宮田  思いのほかめちゃくちゃ難しい質問ですね笑

野村さんとかがちょいちょいやってること、けっこう好きですね。昨日も突発的にこのシーンやってというオーダーが入ってぱっとやったんですよね。あと、アルコールのボトルにペットボトル落とすけど、ギリ直撃しないっていうやつとか。野村さんはそういう、ギリギリ、ボケじゃないけど本気でものをシンプルに扱おうとしてるけどうまくいってないみたいなギリギリを狙うのがうまい。パターンも多いし。その辺のちょっとおもろいポイントを探してもらえるといいなと思います。

 

 

篠原  私は、偶然と必然が稽古場で起きてるのが面白いです。ものを動かして、無秩序なところに、偶然かわからないけど、それまでに福井さんが考えていたこと、もしくは出演者がやってみたいこと、過去の考えや経験に裏付けられたそれが、必然でもあるんだろうなって思う瞬間があって。あ、これ面白いねってなる瞬間が。でもそれって一個の偶然がポンって押し出してくれている感じもあって。お客さんも観ててこれって何やってるかわからないけど、絶対秩序はあると思うんですよね。決まった動きだとか、俳優さんの中で。その偶然性と必然性みたいなところが、面白いなと思ってます。

 

 

小坂  ないかな、と思ったんですけど。今回出演の募集コメントにあった、不確定なものを不確定なまま出すというこの不安定な状態、安心できない状態がすごく面白いなと思いますね。決まってるけど決まってないという感覚。ふわふわしたような感覚。それがすごく面白いなーって思いますね。パフォーマンスもふわふわしてる感じがあって。そういう状態にいる、出演されてるみなさんを感じてたり観てたりするのが、なんかいいですね......うん。ふわふわを体験したくてみんな応募してるんじゃないかな?みんなあの文章読んでるはずですし、それに興味持ってきてると思うんで。

 

 

   普段の生活にかちかちタイムが多い昨今だなと思いますので、観客の皆さんにもぜひふわふわタイムで偶然から必然を発見していただきたいですね。今日はありがとうございました!

 

ロームシアター京都×京都芸術センター

U35創造支援プログラム“KIPPU”

デスクトップ・シアター

202172日(金)~74日(日)

ロームシアター京都ノースホール

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