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テーブルで人とものが共演する『デスクトップ・シアター』。少し謎めいて見えるこの作品、作り手にとっても試行錯誤の連続でした。いったいどういう作品だったのか、終えてみて今感じること、考えることを演出の福井裕孝と吉野俊太郎、制作の黒木優花、ドラマトゥルクの朴建雄で話し合い、今回の公演の振り返りを行いました。

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vol.7

時間の作り方

福井裕孝(演出)/吉野俊太郎(演出)/黒木優花(制作)/朴建雄(ドラマトゥルク)

 

決め打ちと決めない打ち:美術と演劇の作り方の違い

 

 

   無事に公演を終えられたとのこと、おめでとうございます! 今回は公演を終えてみての振り返りを色々伺えたらと思います。それにしても今回は、コロナのせいでそもそも稽古や上演のスケジュールを組むのが大変でしたよね......。

 

 

福井  5月は芸センが閉まって稽古場がなくて、かつ全員で集まるのも控えようというところで、いつどこで誰と集まってやるかバイトのシフト組むみたいに考えてました。場所も「稽古場」はあってもテーブルがなかったり、反対にテーブルがあってもめっちゃ狭かったりとか、いろいろでした。

 

これまでは会場に入ってから実際の環境でばばっと作るっていうのに慣れてたから、これ本番で使うテーブルと全然ちゃうしなとか思いながら稽古やってましたね。でも6月からはノースとか芸センの講堂とか、本番と近いスケール感の空間やテーブルを使って稽古をやれたのでよかったです。吉野さんらは東京でもっと小さい場所とテーブルでやってたから、劇場入ってから調整が大変やったろうなと思います。

 

 

   なるほど。吉野さん的にはどうですか? 演劇の稽古を始めてやってみて感じたこととか、稽古場と実際の上演の違いについて考えたこととか、ぜひ伺いたいです。

 

 

吉野  演劇の普遍的な作り方どうのって話じゃないかもですが……僕はいつも「こういう作品を作る」って設計図を決めて、その通り作って、展示して終わりなんですよ。“決め打ち”っていうか。そういう普段のやり方と比較して、福井さんらと一緒に演劇を作ってみると、慣れていなかったし、初めてだったこともありつつ、自分は演劇の作り方は若干苦手だなと思いながらやっていたところがあります。福井さんは「とりあえずここまで」って決めてから、実際にやってみて、調整をして、っていうのを最後の最後まで終わりが見えない状態でずっと繰り返していく。ずっと乾かない粘土を触っているような作り方をされていた気がするんですよね。これが、演劇の普遍的な作り方というより、福井さんと自分との作り方、向き合い方の違いだなと思いました。

 

それは新鮮だったし、こうして上演を終えてみて、最初に福井さんが出演者募集のページにコメントで書かれていた「不確定のまま保留し続ける」をするための方法論として“決め打ち”じゃない、その正反対の“決めない打ち”みたいなことをずっとやっていたんだろうなと思いました。それが印象的でしたね。

 

 

   普段ものを作るときは決め打ちでやってる吉野さんが、演劇の稽古で出演者の皆さんとコミュニケーションしながら作ることを体験したことで、どういうことを考えられたのか気になります。

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撮影:中谷利明

吉野  俳優の方によって、スタンスが全然違うんですよ。例えば小坂さんは「テキストにこういう動きをする、みたいなのがあれば、その通りやるだけ」とオンゴーイング・アーカイブvol.3の中でもおっしゃっていました。一緒に考えてくださるタイプの人もいましたし、疑いなくまず演ってみるという人もいた。そういう感じで、出演者の方たちは大きく二通りにタイプが分かれていたと思います。僕が一番コミュニケーションをとっていた鶴田さんには、多く提案していただきましたね。結果的に生まれたシーンがたくさんある。自分一人で作ってたら、こういうプロセスはまずあり得なかったと思います。“決め打ち”……「これやっていただきたいです」って言って、実際に演じてみていただいて、それを見る。それをざっくりと「これでいいな、決定、終わり」っていう感じで、僕一人のときは進めていた感覚があるんですが……鶴田さんは結構粘るタイプで「このままでいいんですか」みたいなことを結構言ってくれたんです。最初は正直戸惑いました、「え、どうしたら良いんだろう」みたいな。鶴田さん・斉藤さんが交互にテーブルの上に載って歩くときの足の運び方とか、その時にテーブルに載ってない人が載っている人の足を動かすんですけど、その足の動かし方とか。どんどん変化しました。対話の結果ですね、そういうのはできて面白かったなと思いました。これまでの自分がしなかったプロセスが、こういった可能性を秘めているんだという有益な学びがありました。

 

ところで福井さんに伺ってみたいんですけど。3日間で5ステージあって、結局最後のぎりぎりまで調整して、ひとつひとつの内容が変わっていきましたよね。しかも5ステージ目でも結構変わっていた。ある意味で「終わりに辿り着かなかった」という言い方もできるのではないかと思うんですが、作っててしんどいとかないのかなと思いまして。ずっとこれじゃないな?これじゃないな?と変化させ続けてましたよね。終えてみて、いかがでしたか?

 

 

福井  リハーサル中も言ってましたけど、初めて全体ばーっと通してやってみたとき、僕は吉野さんと違ってあんまりしっくり来てなかったんですね。でも時間も迫ってるっていうタイミングで、あとは吉野さんの感覚を信じながら、自分にできることを最後までやろうと考えてました。でもその微調整みたいなのは別に深刻なことではなくて、同じのをずっと観てたら段々信じられなくなってくるから変えたくなるっていうでも必ずしも変えて良くなるわけではないし、一回野村さんがモノカーで流してるカーステレオの曲を直前に変えてもらったら思ったより曲調うるさくて、ちょっと勘弁してくださいってなって申し訳なかったですね。ひとりで演出やるときは気兼ねなくころころ変えたりしてたんですけど、今回はそういうわけにはいかないのでちゃんと変えたことをslackで伝えるようにしてました。

逆に展示とかやってる人変えたくならへんのかなって思います。どんって作品置いてから。

 

 

吉野  アフタートークでもした話ですが、劇場のスタッフ用の回廊からゲネプロ(本番同様の条件で行うリハーサル)や本番を観ていて、しんどいと思いました(笑)毎回観るのがしんどい。演劇とか映画とか、時間が定まったものを観るのがそもそも苦手なのに、ゲネプロとかでもいろいろ演出立場としてフィードバックをしないといけないから、観なければならない。それがしんどい。観る内容も、基本的に大筋はもちろん一緒で、意表を突かれる様な変化もたぶんない。知っている内容を、ほぼ知っている通りに観る時間。普段の展示だと、作品は作者として良く知っているから改めて鑑賞などしないし、せいぜいメンテナンスみたいな感じで、作品の状態チェックをするだけ。演劇は美術と違って、ずっと鑑賞してないといけないのが本当に辛いみたいな話をしました。

 

福井さんの問いに回答するすれば、作品の展示期間中は——特に僕個人の見解としてですけど——作者は作品を鑑賞していない。つまんない/面白い以前に、観ていないからそのままでいい、という感じ。ということは、福井さんが表層的にでも飽きるから変えたいっておっしゃられるその感じは、毎回真面目に鑑賞してらっしゃるからなんだな〜と思いました。えらい。僕はそういう意味で、見ていて観ていなかったとも言えるのかもしれない。上演の様子を上で観察してはいても、変えたくなるほどの真剣な観劇をしていない。「あー、そこが違うのか~…」と納得しました。

 

自分も細かいところは変えたくなるけど、ほんのちょっとの調整くらいの変え方しかしない。でも福井さんはテーブルの上に出てくるものすらちょくちょく変えてましたよね(笑)こんな変えるんだ、面白いな~と、ほぼ余所者視点で面白がったりとかしてました。『モノカ―』の机で急に動物のフィギュアをたくさん登場させたりとか……楽日の最終ステージでライオンキングみたいな群れ作ってましたよね(笑)あとは、トランプを机の隙間で波のように動かす謎の演出を入れたり。そういうのがたくさんあって、毎回違う一発ギャグ入ってるみたいな感じでした。

 

率直に、福井さんは今公演を終えてみてどんなことを考えてますか?それが聞きたくて今日喋りましょうって思ってたんですよ。ちょっと日があいて、落ち着いて振り返ることができるくらいになってきたと思うんですけど……。

 
 

人にのっかる演劇のずるさ

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撮影:中谷利明

福井  総括的なことですか? もうちょいこうしたかったなっていう課題や反省はかなりあるんですけど、それ気にしてんの自分だけかもなっていう感じですかね。普段ならなんとかしようってなるところも、今回は吉野さんがいて一緒に作ってる俳優も大勢いて、その中で自分の感覚だけ信じててもしょうがないんじゃないかっていうのはずっとありました。特に吉野さんとは考えが真逆に入ることが多くて、さっき言った吉野さんの感覚を信じようっていうのもかなり無責任に聞こえると思いますけど、個人的にはすごくポジティブな心境の変化だったんです。人の感覚にのっかる感じ。今までは自分がええなって思えなダメだったんですけど、それはこういう機会じゃないと経験できなかったです。でも何よりとりあえずやれたのがよかったなって。上演として一度形にできたことが。やらないと何も見えなかったですし。

 

なんかさっきからめっちゃ言葉選んで当たり障りのないこと言おうとしてる自覚あるんですけど、どうしようかな。総括みたいなことやから、先のことを話してた前ほど気楽に話せへんなと思って緊張してます。

 

 

吉野  もうオンゴーイングではないこのトークは、上演とどういう関係であるのがいいんですかね? ネガティブなことを書いてしまうと、観客の方にとっては「この上演はここが完璧じゃなかったんだな」という振り返りになる。ポジティブなことを言うと、上演以外でも作品を補強して肯定し続けていくことになる……どっちがいいですかね?

 

 

福井  外意識しすぎても、ただの内々の反省会になってもね。両方じゃないですかね。そういうことばっか考えてたら余計いいかげんなこと言いそう。さっきもとりあえずやれてよかったとか言いましたけど、いいかげんに聞こえてへんかな、とか。

 

 

吉野  そうだ、実際に演劇に参加してみて「演劇ずるいな」と思ったのは、失敗しても「そういうもんなんだ」って思えちゃうところでした。台詞忘れるとか噛むとかじゃなくて、ものや身体を動かすタイミングが違うとか。俳優や観客の咳払いとか、何をやっても「これはこういう演出、そういう演技なのかな」と見えてしまう。演劇ずるい!(笑)って見えてて。ある種、演劇であることが一つの逃げ場にもなり得てしまうというか……。

 

展示だと、埃が一つ落ちてて、それも展示の内容だろって思う人はまあいない。展示でそう見せるためには、ある過剰さが必要になってくると思うんですけど……演劇だと、過剰じゃなくても、咳払いひとつをネガティブにもポジティブにも受け取れる。あと、ステージごとに内容を変えられるのも、ある意味で演劇を逆手に取った方法ですよね。演劇を悪く言うつもりはないんですけど、展示はその点ではもっとシビアだとは思いました。平田オリザが秒数を測って決めているくらいのシビアさが展示の方にもあります。『デスクトップ・シアター』はそういう演劇の“ずるさ”を利用して、可塑的な上演を作れたという意味で、いいことだなとは思うんですけど。

 

 

福井  その裏返しで言うと、美術の展示とか見に行っても、作品を置く位置とか高さとか、その根拠というか、作家が何をもって信じられてるのかわからないんですよね。決まった場所に設置したらあとは基本的に動かさないし、なんならもう現場に来ないわけですよね。お客さんは作家がこう置いたっていう過去を観に来る。さっきも話しましたけど、演出やってると自分が決めたことを信じられなくなってくるから、鮮度が落ちていくというか、昔の感覚は忘れられていくから、段々嘘っぽく見えてくる、不安になるんですよね。

 

 

吉野  過去といえば、美術館を美の墓場といった人もいますしね。僕は彫刻科に入って、「彫刻ってなんだかわからないから、彫刻というものをどう作ったらいいかわかりません」って学部時代に担当教授にぽろっと言ったら、「そんなんじゃ彫刻つくれないよ」と言われたりしました。なにかを信用したり、信仰したり、過信したりしていかないと彫刻も美術も展示も作れないと当時言われたと解釈してます。半分同意じゃなくて、そうなのかという感じがあるので、とりあえず自分は彫刻作ってますとは、基本的に言いません。自分の作ってるものも、「彫刻物」と言って、ものが彫られ刻まれた“彫刻に似たもの”という意味でしか使ってない。

 

福井さんがおっしゃっていた、展示において配置は何を信じてるのかわからず不安になるというのを聞いて、無自覚にでも過信がないと展覧会って作れないんだな、それには無自覚だったってことに気がつかされました。

 
 
 

時間の構成と演出間の譲歩

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撮影:中谷利明

福井  でも演劇も信用で成り立ってますよね。なんかやる人とそれを見る人がいて、これまでも当然それを前提にやってきたわけですけど、改めてそういう信用について考えたいと思って。そういうのもあって今回、劇場じゃなくテーブルを舞台ってことにしてみたけど、自分は結局ここはテーブルでこれは等身大の何かですってところからしかはじめられなくて。だから吉野さんとはフィクションを立ち上げるアプローチも全然違ったけど、ここはこういう場所なんですって言い切れるような態度もどっかで持っておきたかったなって思います。

それとも関わってるんですけど、上演が全体的に退屈っていうか、全編通して常に何かが起きてるみたいなつくりにはならなかったですよね。ここはこういう場所でこういう上演をしますとか、もっとテーブルごとの違いが目立つと最初は思ってたから。実際これが一番の反省なんですけど、時間の構成を立てすぎたんですよね。最初はテーブルでやることはいくつか決まってるけど、それがいつどこでどう上演されるのかは決まってないみたいな状態で、吉野さんとエクセルでタイムテーブルを作ってから全体像だったり今後の作っていき方がはっきりしたわけですけど、今度は何も起こってない時間も含めて時間が全部埋まってしまった気がして。たるいなって思いながら観てた人もいたと思うんですけど、自分の体感的にはむしろもうちょいゆっくりして欲しいというか、もっと空白が欲しいなって思ったりしてました。これ終わった後テーブルの上のものどうする?とか、 これ誰が持って帰る?とか。仕方ない部分もあるけど、そういうのに気を取られすぎたと思います。

 

 

吉野  最終日のアフタートークなんかでは強権的な司会ムーブをしちゃったことに反省しているんですけど……そのときに「ぶっちゃけ今回の内容ってめっちゃ退屈じゃん」みたいなことを言ってしまったんです。“退屈”って言葉を使いすぎたなと思って、福井さんごめんなさい。寝てる人けっこう多かったし、“退屈”な箇所も実際あっただろうというのは置いといて、アフタートークの後(僕が率直に“退屈”とか言いすぎたせいだと思うんですけど)、来てくださってた知り合いとかから「福井さんになにか文句あったの」みたいなことを言われたりして。トークで喋っていたときはそういうつもりではなかったけど、福井演出との関わり方を悩み続けていた部分はあったなと思い返したりしました。

 

僕は福井さんの見方で「デスクトップ」を見ることができなかったんです。その事実に、制作中のどこかでハッと気がつく瞬間がありました。

そこから実際の本番で何をやっていたかというと、『退屈ゆえのボードゲーム』や『レストランより』でほぼ何も目立ったことが起きないようにしていた点などで、最終的に主宰の福井さんが考えていることややりたいことの邪魔をしすぎず、あくまで福井演出を立てたうえで、多少茶々を入れようという意識で作っていました。福井さんが『デスクトップ・シアター』としてテーブルの上のオブジェクトをキャラクターに見立てて、観客を飽きさせないようにしていた部分が多少あったと思うんですけど、一方で僕はキャラクターを見出しづらいものやアクションを演出に取り入れてみたんです。フォークとナイフでぬいぐるみを撫でているだけの斉藤さんや、本をちょっと移動させて、ちょっと読んでるだけの鶴田さん、とか。そういう演出のみで、最終的に終わりへって意識でした。でも率直に失敗だったなと思っているところもあります。福井さんの演出にちょうど良く茶々を入れてちょうどよく終わる感じになってしまったので、もっとちゃんと邪魔すればよかったなと強く思ってしまって。

福井さんへの応答を考えるのではなくて、シンプルにもっとやりたいことを福井さんに何か文句言われてもやってしまう、みたいにした方が、7つそれぞれの『デスクトップ・シアター』、つまりテーブル単位が活きたな、と思ったりもしました。全体の構成に僕も合わせにいってしまった……演劇ってそういうもんだと思ってた部分が大きかったのもありますが。わざと“退屈”を構成として取り入れていくのか、一つ一つのテーブルで好きなことやって結果的に“退屈”になるのか。その態度のあり方はぜんぜん違うし、どっちを選ぶべきだったかと考えると、大人しくやりすぎたなという反省が終わった後に強く残ったんですよね。優等生的な構成を作ってしまったとも言えるかもしれない。一方で、福井さんが求めていたものにもたどり着かず。福井さんも僕に譲歩してくれて、僕も福井さんに譲歩してた、というのが『デスクトップ・シアター』の根本問題として最終的に残ったなと感じましたね。

 

 

福井  そうやなと思います。演出二人で何かをっていうよりも、それぞれがテーブル単位で作ってきたものを空間にはめたときにテーブル単位で初めてぶつかるみたいなのがよかったですね。実際そういう場面もいくつかはありましたけど。ここ二人の作家性の違いみたいなことが主題になると途端にスケールが収縮するから、二人がうまく共存しようともかえって対立しようともしないみたいなことを目指したかったけど、それはやっぱり難しくて。お互い慎重に間合い取ってたら、まあ最終こう落ち着くよなって感じになりましたね。だからもう一回やっても同じ感じになるかもしれないです。

 

 

吉野  そんな後ろ向きな気持ちではなく、でもそうだったよねって感じですね〜。僕は福井裕孝の『デスクトップ・シアター』に爪痕を残せなかったなと思っていて。爪痕残せたなって多少許せるのが、当日配布のパンフレットに掲載したテキストと、アフタートークぐらいだったなと思って、それが一番ショックだったんですよね〜。

 

 

福井  あと今回テーブルが7台あったけど、そのすべてのテーブルで同時に上演することはかなり甘く見積もってましたね。正直ボリュームの問題だけならどうにかなったけど、それぞれ同じぐらい時間かけつつ他のテーブルとの対応も考えて作るのは難しいというか、十分に演出が行き届かないっていうのはかなり序盤にわかりました。これ本番入って気づいたんですけど、今井さんらがやってる方のモノカーの冒頭で、今井さんが板付で置いているミニカーをティッシュで拭いて、その拭いたティッシュのゴミを一台目のモノカーとして走らせてて、全然そんな演出じゃなかったんですけど、多分他のテーブルでも自分の知らないところで色々起こってたんやろうなって。そういうのが起こるのは楽しかったしよかったんですけど、単純に演出としては追いついてなかったから

「退屈」へのそれぞれの出演者の向き合い方

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撮影:中谷利明

吉野  その話で言えば、それぞれのテーブルに演出の目が行き届かなかったことによって、俳優個々が活きる現場になったなと思いました。みんなすごくキャラクターが見えてくる。今井さんの“らしさ”とか含め、個別の身体の特性が十二分にでていました、みんなそうでした。観に来てくださった知人に、あの俳優はどうだったみたいな感想をいくつか伺ったりもしたんです。たとえば出演者のAさんの演技がとてもよかったという人もいれば、Aさんの動きは見てて気持ち悪かった、という人もいました。そこに、まとまった回答や感想はないんです。7つのテーブルがそれぞれ自律して在るという事が、俳優にも反映されていたようにも感じましたが、福井さんや僕の演出の目が行き届いていたら、こうはならなかった気がしています。

 

現場でのコミュニケーションという点では……福井さんは思考を言語化するのに時間を要しますよね。適切に言葉を選ぶための待機時間がある。一度の会話で交換できる情報があまり多くないという点では、ある意味「下手っぴ」とも言えると思うんですけど……だから出演者とのコミュニケーションに必要な時間が比例して長くなるはず。

だけど、締め切りが決まってるからコミュニケーションを短縮せざるを得ないというところで、出演者それぞれに福井さんが何を考えているのかを自分で考え出さないといけなくなって、それが出演者らしさの発生に繋がったのかなと感じています。そこは『デスクトップ・シアター』が誇っていいところだと個人的には思いました。「良い演出ができた」とかそういう話ではないけど、演出がある意味でいきとどいていなかったからこそ、俳優が活きる現場になった。

 

自分の方も“決め打ち”とか言ってましたけど、“決め”てからはなにかを注文をしたりはせず、このままでいいやと放置したりしていました。福井さんも前述の理由から演出指示の後に放置をする時間があったので、そこで偶然にも状況が符合して、上演全体での俳優の在り方も統一された。石原さんや小中さんの演技などは、僕にはすごく面白く感じられた。「小中さんは普段と演技の境目があまり感じられないよね」って話を誰かとした記憶もある。

 

……ところで、黒木さんはどういう風にご覧になっていましたか?黒木さんは製作として、観測者的に稽古場に同席してくださっていた感じだと思うんですけど、見ていて何を思われましたか?

 

 

黒木  そうですね......。まず作品の部分ですよね。なんというか、何にも配慮せずに言うと、吉野さんと福井さんの「退屈」という言葉の意味がほんと真逆だなと感じていました。通しの後のフィードバックとかを聞いていても、足りない、として示す事柄が真逆で、大きくは、要素で埋めていくのか、時間で埋めていくのか、みたいなタイプの違いをすごい感じました。言い換えると、「飽きさせない」みたいなことへの対処方の違いというか。

吉野さんは結構、要素をいくつもしっかり用意して、それをお客さんが噛み砕く時間を大事にしてる印象でした。こんなこともあんなこともある、それらがどう繋がっていて、そしてそれを観客が理解し飲み込むための時間も用意するような感じ。一方で福井さんは、シーンの中で要素が立ち上がってから、その後がいかに待つ時間にならずに観ていられるかを最後まで粘っていた印象でした。違う言い方をすると、しっかり時間が流れてさえいれば、その時間の機微のなかにテンションの上がる瞬間はいくつもあって、くっきりした輪郭の要素はそこまで重要じゃないようなイメージ。

それが結構、出演者のみなさんも、なにがしっくりくるのか二分していた気がしていて。ちゃんとコンセプトや要素の「点」で時間や空間を埋めることがしっくりきてる人もいれば、「面」としての時間の流れというか、「点」があるにせよその点の前後の時間がちゃんと流れていて無理がないだろうかということを心配している人たちもいました。演出家が一人の現場だったら、その演出家の時間の作り方、点の入れ方にみんな会う合わないがあっても合わせていくと思うんですけど、でも今回は、全くタイプの違う時間の作り方、空間の埋め方に関して、吉野さんがおっしゃったように俳優さんたちが粒立ったこともありつつ、みなさんすごく葛藤しながら自分の立ち方を探っているなと感じました。

 

吉野  ふむふむ。

 

黒木  きっとそのタイプの違いというのはお客さんも同じで、今回の上演に退屈してしまった人、面白く観れた人、両方いたと思います。面として時間が動かないことに耐えられない人も、ずっと面であることに耐えられない人もいるだろうし。稽古や終演後のお客さんの様子を見ながら、その違いを人それぞれって言えばそれまでだけど、そのそれぞれを超えて、ちゃんと強度のある作品ってどうやってできてるんだろうなってことを考えながら過ごしてました。

 

吉野  ありがとうございます。朴さん、ここまででいかがですか?

 

朴   面白いな~と思って聞いてました。演劇や演技の時間の作り方で、最近一番いいなと思っているのが、演者の生っぽいところがてろーんって出ちゃってる感じなんですけど。演技が記号だと面白くないんですよね。大きい声出して目を吊り上げて、ああ怒ってるんだなと思わされるだけの記号的な演技だと、「怒ってるんだな」はい、終わりってなってしまうので。記号にならないようにするには、演者の素の怒り方の表現が一番オリジナルだと思うんですよね。怒ったらこの人は無表情で腕組むのか、とか。そういうのが一番面白い。そういうことに近い部分が、良くも悪くもこの稽古場にはあったんだなと思いました。いる人や、あるものの面白さがゆるく広がってる感じ。オンアカで話を聞いて、みんなすごく自分のパフォーマーとしての見せ方をしっかり考えていて、そのうえでそういう居方をできてるのすごいな、観たかったなと思いました。観てないので言えないことがたくさんあるんですが......。

 
 

ものと時間の扱い方の違い

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撮影:中谷利明

   あと、吉野さんってすごくきちっとしたい人なんだな、「これが作品です」っていうのをバシッとはっきりさせたい人なんだなって思いました。演劇だと、「これが作品です」という輪郭をはっきり決めることが原理的にありえないんですよね。人は年取るし、上演のたびに状況違うし。「こうです」という輪郭をバシッと決めるのは、ものだと信じやすいと思うんです。このかたち、というのが維持されやすい。もちろん絵具とか銅とかそういう素材が経年劣化して変わるみたいなことはありますが。でも演劇はひたすら変わり続けるので、原理的に向いてる方向が全然違うことを今回吉野さんはやったんだな、と思いました。

 

 

吉野  あー、そうかもしれないですね。そういえば開場直前のプリセットの時に思ってたんですけど、福井さんは演出内容から想像するよりも、ものの置き方や指定がざっくりしてました。比較して、逆に僕は細かかったんです。たとえば自分は出演者や観客の座席の、椅子や配布物の位置を揃えるのを毎回厳密にやってたんですけど、そんなことやってるの自分だけだった。テーブルのものの並べ方も、僕は一回につき15分以上悩んじゃってました。でも福井さんはドンと置いて終わり。その違いも面白かったです(笑)朴さんは僕をきちんとしたい人、変わらないことを信用しているとおっしゃっていましたけど、逆にものが変わらないことを信用してないから「お前はこの位置」と指定してたんじゃないかなと思います。“きちっと”という中にも、視点の違いや、どこをきちっとしてるか、してないのかの違いがはっきりある。

 

あと、僕はものをミリ単位で動かしてました。でも福井さんは違う、それが興味深くって。ものの動き方をざっくり見ている方と、そうじゃない方。そこにそれぞれの個性が出てました。

 

 

福井  気になるところと気にならんところがそれぞれあったと思うんですけど、どういう違いなんですかね。プリセットは気にするときもあるけど、気になったときに気にするくらいです。逆に上演中の転換のちょっとした所作とか自分は気になって仕方がなかったけど、吉野さんは気にならなかったりとか。​​

 

 

吉野  僕、実は客入りのときの経路案内のサインボードの位置までこっそりバミってました(笑)たぶん劇場スタッフの方も気づいてなかったんじゃないかと思うんですけど。

 

 

福井  最初に吉野さんと話したとき、各テーブルでなんかいろいろやるけど、全体は演劇の時間としてパッケージングしますみたいな話をした覚えがあって。要するに、そのときはテーブルが全部演劇の舞台になるとは考えてなかったんですね。ここは展示台座として使われたり、ここはダイニングテーブルとして使われたり、そういうバリエーションがあった上で、全体の秩序は演劇の時間に頼って整理しようと。でも結果的に吉野さんにはちゃんと「演劇」を作ってもらったから、普段活動されてる分野や領域も踏まえて、もしかしたらその辺からもっとうまくやれたんじゃないかなとは思いました。別に演劇の時間を作ろうとしなくてもいいというか。美術や彫刻には別の時間感覚があるだろうから。もちろん全体としては「演劇です」って言うから、上演の時間の影響は受けるわけですけど、異なる性質の時間をそのまま内包するような作り方はできたんちゃうかなと思います。演劇がというより僕個人が考えている演劇的な作法を吉野さんに無意識に要求してしまってた部分もあったと思いますし。

​​

 

朴   だって言ってみれば、吉野さんはひとりだけ言葉通じないところに謎の留学させられたみたいな感じですもんね笑

 

福井  でも表現方法が違っただけで、それに至る前提の部分は共有できてたと思うし、演劇のことも多分僕より詳しかったので。でもどこかで「演劇」の枠の中にはめてしまったような感覚もあって、もうちょい吉野さん自身の感じが活きるやり方があったのかなと。​​

 

 

吉野  うんうん。そうかもなとは思いつつ、どんなやり方であれ結局今回と似たような感じになったのではと思います。上演中にも、演劇っぽいものを作るにはどうすればいいだろうとずっと考えてました。有名な戯曲をパロディしたり、演劇の時間について考えたり……

普段は時間についてなんて考えたりはしていなかったんですけど。作り方を変えたとしても、自分自身の特性として、同じようなことをしていたんだろうなとは思います。

演劇の視点の自由さ

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撮影:中谷利明

吉野  話変わるんですが、本番をご覧になっていない朴さんが記録動画を見ても、たぶん何のこっちゃか全くわからないと思います(笑)俯瞰で全部のテーブルを映す視点は一応あるけど、テーブルごとの細かな出来事は見えないだろうし。演劇の記録撮るのは難しいふだろうとは思ってましたが、これほどまでに難しいとは……って思いましたね。

 

 

福井  上演の記録としては難しいですね。全体を同時には捉えられないので。​​

 

 

吉野  これ東京の友達とかにどう記録を見せたらいいのか全くわかんないですからね(笑)なんのこっちゃわかんないと思うので、そこが心配です。

 

 

黒木  動画で見ることについて、生が失われるってことじゃなくて、ぜんぜん別物感があるんですよね。

 

 

吉野  視点がある程度固定されてるのが、全く違う経験を生む原因になる気がしますね。記録撮影のカメラマンの方が水平にパンしてる場面で「あー、そっちじゃなくて、反対側を見てみたいんだけどなー」って思うようなこともおそらくあるだろうし。記録の技術の問題ではなくて、次に何を観たいのかがその時々によって、場所によって異なるはずだろうってことです。その鑑賞の自由度が、映像だとすごく制限されるんですよね。

 

 

  そうですね。演劇の面白さって、生がどうとかいうのもありますが、自分でフォーカスを変えられる、カメラを動かせるっていうところも大きいと思うんですよね。普通の作品なら代替この辺、みたいに視点が固定されてますけど、今回は空間全体を使っていて、動きに目とからだ両方がついていくというのが重要だったと思うので、記録は困難でしたね。

 

 

吉野  360度カメラとか使えば良かったんですかね?

 

 

福井  もう映像は「映像」って開き直って、ゲネを無観客にして映像のために撮るって感じにしましたね。だからスチール写真もそうですが、なんか意図せずかっこいい感じになっちゃって。​​

 

 

吉野  写真すごい良いですよ。60枚くらい撮っていただいたけど、全部かっこよくて、あと4倍は欲しい(笑)このシーンも写真映えしただろうな~みたいなのもありました。

 

そろそろ時間だと思うのでまとめると、全く強度のない作品だったと思うけど、強度がないからこそ、逆に奇妙で面白いものが作れたんじゃないかなという満足感はありました。それは良かったなと振り返ります。

 

 

黒木  5時間観れるって言ってた方もいらっしゃいましたね。いよいよここからってところで終わったと言ってました。

 

 

福井  構成的には確かにここからって感じでしたよね。

 

 

黒木  じゃあ見抜かれてたんや(笑)。からだがなじんできたところでリリースされたって言ってました。

 

吉野  時間的な制約によって終わった感じはある気がしますね。お客さんの様子を観ていると、最初の30分は眠くなる。その眠くなったのが30分~1時間くらいも経つと、眠気の峠を越えてたと思います。それ以降は「この『デスクトップ・シアター』ではこんなことが起きるんだな/起こらないんだな」っていう多少の予測がつく感じがあったんでしょうかね。

 

 

朴  返す返すも日本で現地で観たかったな~。本日はお話しいただきありがとうございました!